おはようございます!
台南のゲストハウス『はむ家』老闆の「はむ @orenotainan」です。
今朝、珍しくFacebookを触っていたら……
思わず涙が…。
という事件が起こった!
こんな投稿が。
しばらくショックで動けなってしまった。
あんたになんの関係があんの!?
とかいう声が聞こえてきそうなので、この偉大な方と台南に住むしがない日本人(俺)との関係を、謹んで故人を偲びつつ語ってみたいと思う。
それは2014年の出来事だった
はむ家は2013年創業だったので、台南に来てから1年とちょっとが過ぎたころ。
とある電話。
カタコトの日本語で
チメイノラオバンノヒショデスガ。
そして中国語で話し出した。
当時の俺は「ニーハオ」「シェシェ」ぐらいの中国語力だったので、ミキさんに電話を代わってもらった。
何か話してる。
奇美の創業者が、台南に日本人がいるのか!ってことで、1回来いって言ってるよ。
ということだった。
俺は、この時まだ、この奇美の創業者というのが、どんなに偉大な人なのか全く知らなかった…。
許文龍 ←クリック
一青妙
この名前を知ってるだろうか?
説明が面倒なので、ここもWikipedia作戦でいこう!
一青妙 ←クリック
彼女が「私の台南」という本を出したのはこのころだろうか。
台南にちょくちょく来ていて「はむ家」も取材を受けたことがある。
一青妙も連れてきて。
奇美サイドからそういう要望もあったものだから、俺は早速声をかけてみた。
奇美のラオバンが会いに来いって言ってるけど。
彼女は二つ返事で「OK」した。
(忙しいはずの人がなぜ二つ返事…)
俺はそう思った。
(俺はまだ、この奇美の創業者というのが、どんなに偉大な人なのか全く知らない)
ついでに一青妙と俺とが共演した(俺は脇)台南観光PRビデオがあるので披露しておく。笑
そして先日怪しい飲み屋に呼び出された時の写真も貼っておく。
その後、奇美サイドの日程が何度もコロコロ変わるので、
もう面倒なので断ろうと思います!
なかなかお会いできる人ではないので、断るのはやめて!
となったので、何回もの変更に耐えていよいよ当日がやってきた。
(俺はまだ、この奇美の創業者というのが、どんなに偉大な人なのか全く知らない)
まだ完成前の奇美博物館に呼ばれる
他にも何人か連れていったが、ラオバンが会いたかったのは「一青妙」だったのではなかろうかと今になって思う。(俺はおまけ)笑
そして、いよいよ御大の登場となるのだが、
彼が来て最初の一言が
今日はなんの用?
みんな緊張しているものの、心の中では「お前が呼んだんやろ!」とツッコミを入れていた。笑
でも大人な俺は、
今日はですね、台南に住む日本人として台南の大先輩にお会いしたくてやってきました!
と言ったかどうか定かではないが、そうやって歓談が始まっていた。
許文龍との歓談
日本刀が好きでね〜
どれくらい持ってるんですか?
うん、千個以上。
バイオリンも好きでね〜(とても高価なやつ)
何個ぐらい持ってるんですか?
うん、千個以上。
(我々の数字は一から始まるが、彼の数字は千から始まるのだと思った笑)
と、桁外れな話が飛び交う中。
台南のどこが好き?
台南の人と気候ですかね〜
台南のいいところはなんだと思いますか?
それはこの天気やろ!
台南に住むしがない日本人と、世界の億万長者の意見が一致した記念すべき瞬間だった!
ということで、みんなの話を聞いたり、ラオバンとの会話にて、俺はやっと彼は偉大な人物なんだということを知った!(遅い…)
歓談の内容はこのぐらいしか覚えてない…笑
台南日台交流会
我々はこのころ「台南日台交流会」というのを作って、毎月イベントやって、台南の日台交流に貢献していた!(はずだ!)
今年で10周年ということで、先日も10周年のお祝いをみんなでやったばかりで、今も時々やってます。(またやります!)
奇美のラオバンは、そのことにもすごく関心を持っていてくれた。
これからも日台交流頑張ってよ!
そう言って
これ寄付。
と言って、金一封を。
その10周年のお祝いをしたばかりの時に逝くなんて…。
まとめます!
ということで、台南に住むしがない日本人と世界の億万長者の物語を綴ってきましたが、なんというか…台南に来たばかりの頃で、まだまだ心細いときに思いがけず声をかけていただき、俺の台南人生に大きく箔をつけていただいた人物でした。そしてずっと心のどこかにいてくれました。
そんな人物が、昨日2023年10月18日に人生の幕を閉じられました。
ご冥福をお祈りするとともに、心より一筆啓上差し上げます!(このブログ)
最後にラオバンに弾いてもらったマンデリンの音色とともに、このブログを締めくくらさせていただきたいと思います。
ありがとうございました!
合掌。